あきる野市には戸倉財産区という特別に予算管理をしている地域があります。一般的に財産区が生まれる経緯は、行政合併する際に、問題となるそれぞれの財産の量です。裕福なまちは、その不均等が理由で合併を嫌いますので、その弊害をなくすために、応分の供出金は支出するが、別に、地区で管理をして良い財産を持って良いとされました。
五日市町が生まれるときの、財産は、増戸村2500万、五日市町2000万、小宮村4000万、戸倉村2億5000万でした。合併の話し合いで、戸倉村だけが、圧倒的な財力であったので、34%は供出金として、残りは財産区の管理としたのでした。
現在でも戸倉財産区は、地域が財産(不動産や有価証券等)を管理しているのですが、執行権は市が持っており、地域で勝手に財産は売却出来ないとされています。
地域としての収入は土石を平成3年から13年間掘り、立木の売却を含め、2900万/年の収益があり、令和元年で、1億3千万が地域の財産となっております。
ではなぜ戸倉村だけがそんなにお金があったのでしょうか。
それは、造林計画を立てその収益で税金をまかなうという号令のもと、住民へ労働をさせた結果でした。その結果、山に価値が出ており現在は60年生の杉やヒノキが豊富にあり、
実際の現金は1億3千万でも木の価値がそれに上乗せとなります。しかし山の管理などに費用はかかりますので、収益事業が無ければ、先細りとなります。
管理面では、財産区を解散すると、市が財産も没収する形になります。一部の年配者は歴史を理解していますので、なかなか解散とはいかないようです。今後どのようにするのが良いのか、考えどころです。
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